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日本最古の忍者の主『聖徳太子』とはどんな人物なのか!?

聖徳太子が、教科書から消えてしまうそうです。

理由は簡単で、聖徳太子という名前の人はいなかったからとのことです。

要は、それが本名ではないということなのです。

厩戸王(うまやとおう)という人物に贈られた、いわば愛称のようなものです。

現在は、厩戸王(聖徳太子)と教科書には記載されてきているそうです。

ちなみに『厠(かわや)』ではなく『厩(うまや)』ですので、そこだけは絶対に間違えないようにしてください!

さて、忍者の世界において聖徳太子といえば、日本最古の忍者=志能備(しのび)を用いた人物としてお馴染みです。

大伴細人(おおとものほそひと)という忍者です。

ただし、これも現代では怪しいところでもあります。

日本書紀等には記載されていないからです。

ただし、萬川集海(まんせんしゅうかい)に出典されているという話しもあります。

志能備と大伴細人は、だいたいセットで登場することが多いことから、両方とも萬川集海なのではないかと推測されます。

昔のことですから、確実にこれに書いてますよという証明はできませんし、書いてあるからといって本当のことかどうか、今となっては調べる術がありません。

真実が明らかになるには、タイムマシーンが開発された時と考えています。

いずれにしても、夢のある話しとして、今後も語り継がれていけばいいのではないでしょうか、別に、真実だろうが真実でなかろうが、今の生活に全く影響しないので。

★ 聖徳太子の称号は「憲法十七条」をはじめ、数々の功績によるもの。

★ ところが、最近の研究から、推古王朝は彼一人でなく天皇、蘇我氏、厩戸王3者の共同体制による運営とされ、
① 冠位十二階などは「多くの人物」の手による合作
② 憲法十七条は彼よりも「後の時代」に完成した
③ 遣隋使は小野妹子より「以前から」派遣されていた
など、彼自身の実績とは直接関係ないとする可能性も指摘され、徐々に疑問が生じています。

★ 少なくともこの時代に、彼が天皇の摂政として存在したのは確かですが、「聖徳太子」の称号に値する“すべてをひとりで成し遂げた”人物ではなかった、つまりは「“聖徳太子”はいなかった」とする見方が現実味を帯びてきました。

あの「聖徳太子」が教科書から姿を消すワケ
東洋経済オンライン 2016年5月25日
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